2016年11月18日

ローマ人の物語 ハンニバル戦記(中)(下) 第二次ポエニ戦争の備忘録 (登場人物とあらすじ)

登場人物

スキピオとハンニバルは割愛

プブリウス・コルネリウス・スキピオ
 スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の父。
 アルプスを越えてきたハンニバルと最初に対峙した、ローマの執政官。
 アルプス越え後の初戦であるティチーノの戦いで敗北するも、子の大スキピオに命を救われる。
 その後は弟グネウスと共にスペイン戦線で戦うも、ハシュドゥルバルと戦い兄グネウスとともに戦死。

フラミニウス (ガイウス・フラミニウス)
 フラミニア街道の創設者。
 同僚の執政官セルヴィリウスと共にトスカーナから南下してくるハンニバルの挟撃を狙ったが、
 トラジメーノ湖畔で待ち伏せに会い戦死。

ファビウス (クィントゥス・ファビウス・マクシムス)
 ローマの盾
 無双の勢いでローマ軍殲滅していくハンニバルに対して、会戦を挑まない持久戦法を提案。
 独裁官に就任し、勝つのではなく兵糧を生かした負けない戦いを選択する。
 ぐず男(コンクタトール)と呼ばれたが、持久戦法が効果を挙げると、
 コンクタトールは持久戦主義者という賞賛の意味に変わる。
 ハンニバルがアフリカへ渡った後、第二次ポエニ戦役の終結を見届けることなく逝去。

グラックス (ティベリウス・センプローニウス・グラックス)
 奴隷軍団を率い、南伊のハンニバルに圧力をかける。
 講和の申し出と見せかけた騙まし討ちに会い死。
 奴隷軍団は霧散する。

マルケルス (マルクス・クラウディウス・マルケルス)
 ローマの剣
 軍団を率いて長い間ハンニバルのイタリア内での動きを封じた。
 シチリア動乱も平定しローマに大きな貢献を果たす。
 南伊でハンニバルを追い続け、
 会戦を挑み対等にわたり合った。
 丘を偵察中、ハンニバル軍の騎兵にはちあわせ戦死。

ハシュドゥルバル (ハシュドゥルバル・バルカ)
 ハンニバルの弟
 ハンニバルのアルプス越え後スペインの指揮を取る。
 スペイン戦線ではスキピオ兄弟を破るなど活躍。
 ベクラの戦いでスキピオに敗れた後、アルプスを超えハンニバルとの合流を試みるが、
 クラウディウス・ネロ、リヴィニウス軍に敗れ戦死。

クラウディウス・ネロ (ガイウス・クラウディウス・ネロ)
 スキピオ兄弟の死後スペイン戦線を任せられる。
 ハシュドゥルバルを追い詰めるものの、
 ハシュドゥルバルに騙され講和を待ってる最中に逃がしてしまい、本国へ呼び戻される。
 メタウロの会戦でアルプス越えをしたハシュドゥルバルと再度対峙。
 スペインでの借りを返す。

レリウス (ガイウス・レリウス)
 スキピオの右腕
 戦役初期からスキピオと共に数々の戦闘を切り抜ける。
 ヒスパニア遠征からはスキピオの副将として活躍。
 マシニッサが仲間になってからは、共に両翼の騎兵長を務める。

マシニッサ
 東ヌミディア王
 カルタゴの傭兵として戦っていたが、
 西ヌミディア王シファチェに許嫁と国の双方を奪われ、
 騎兵200騎と共にスキピオ側へ。
 レリウスと共に騎兵の両翼を担う。
 バクラデス川の戦いの後ヌミディア王へ復帰。
 ポエニ戦争終結後は90歳まで軍を率いていたという。




あらすじ年表

前218年
ハンニバル、サグント(ローマの同盟都市)を攻撃
 八ヵ月後サグント落城
 ローマが宣戦布告。第二次ポエニ戦争がはじまる
ハンニバル、五万の軍を率いエブロ渡河
 二万をカルタゴに、一万五千をスペイン防衛に残す
 プブリウス(父スキピオ) 二個軍団とピサ〜スペインへ
 センプローニウス 二個軍団とオスティア〜シチリアへ
 本国にも追加の二個軍団
 ハンニバルはピレネー以南の征服を考えている?
ハンニバル、ピレネー超え
ハンニバル、ローヌ渡河
 プブリウス、グネウスと二軍団にスペインを任せ、自身と直属の将官で本国の二軍団と合流
ハンニバルアルプス越え ハンニバル29歳
 15日かけて、兵は半数の歩兵二万と騎兵六千になった
 アルプス以南のガリア人を懐柔、一万人のガリア人を傭兵に
 プブリウスス、二軍団と合流しピアチェンツァへ。シチリアから来るセンプローニウス軍を待つ
ハンニバル アルプスで捕虜にしたガリア人を決闘させる
プブリウス、視察のためピアチェンツァから西へ
 騎兵+少数の軽装歩兵を連れて
ティチーノの戦い
 完敗。600人が捕虜に
 初陣のスキピオが囲まれたプブリウスを救う
ハンニバル、兵糧貯蔵地の村カステッジョを襲撃
センプローニウス軍ピアチェンツァで合流
トレビアの戦い (四万vs四万) 悪天候
 センプローニウスがトレビア川の対岸に釣り出される
 マゴーネは森の中に隠れて包囲に参加
 ローマ軍は一部が敵のガリア歩兵を突破し生き延びる
 ローマ側の戦死者二万
 カルタゴ側は戦死者の多くがガリア人
 どちらに付くか迷っていた部族がハンニバル側へ、兵は五万に
同時期、スペインにはグネウスとハシュドゥルバル

前217年
執政官がフラミニウスとセルヴィリウスに
 ハンニバルの南下場所が予測できないので
  フラミニウスはアレッツォへ
  セルヴィリウスはリミニへ
 ハンニバルはアペニン山脈を越えてトスカーナ地方へ
  エトルリア人に影響を与えるため
ハンニバルの焼き払いながらの行軍の煙にフラミニウス気づく
 ハンニバルを挟み撃ちにする戦略に
トラジメーノの戦い (ローマ二万五千 ハンニバル五万) 前217年
 フラミニウス軍がトラジメーノで待ち伏せに会う
 ローマ一万七千人戦死。うち騎兵四千。執政官フラミニウス戦死
 ハンニバル側は二千人戦死。殆どがガリア人
ハンニバルはフラミニア街道からの南下ではなく
 アドリア海からの南下を選択
ファビウスが独裁官に就任
ハンニバル、冬越しのためプーリアへ向かう
 ファビウス率いるローマ軍に道を遮られるが
 火をつけた牛二千頭を使いアペニン越え完了

前216年
執政官がエミリウスとヴァッロに年
ハンニバル 食料貯蔵地のカンネを襲撃
 カルタゴからの支援は未だになし
カンナエの戦い (ローマ八万七千 ハンニバル五万)
 前執政官セルヴィリウス、執政官エミリウス戦死
 ヴァッロ、スキピオは逃げ出すことに成功
 ローマの戦死者七万七千。ハンニバル側五千五百
ローマ 捕虜八千人の身代金の支払いを拒否
カプア離反
マゴーネ スペインへ

前215年
執政官がファビウスとセンプローニウス・グラックスに

前214年
執政官がファビウスとマルケルスに
 ハンニバル、本国からの補給のために港を狙うがなかなか奪えず
  ターラントまで南下
レヴィヌス 外交を駆使してマケドニアを封じ込める
グラックスは奴隷軍団を率い、ハンニバルを抑える
シラクサ内紛
 ハンニバル 工作員を送り同盟を結ぶ
 マケドニア王フィリッポス五世もハンニバルに同盟を申し込む

前213年
執政官息子ファビウスとグラックスに
マルケルス シチリアへ
ハンニバル ターラント獲得
ローマがカプア包囲。ハンニバル苦戦
マルケルス シラクサ攻略にてこずるが
 アルテミス女神の祭日に城壁を攻略
グラックス 南伊でカルタゴ軍に謀殺される
 奴隷軍団霧散

前212年
シラクサ陥落
 マルケルス ギリシアの美術品などとともに凱旋式
ハンニバル カプア包囲を切り崩すためローマでのデモを行うが失敗
 カプアは無視し南伊へ

前211年
カプア陥落 前執政官プルクルス戦死
バエティス川の戦い
 プブリウスマシニッサ、マゴーネ、ハシュドゥルバルと戦い戦死
 兄グネウスも戦死
クラウディウス・ネロ(マルケルスの部下) スペインへ一万の兵と共に送られるが
 ハシュドゥルバルに騙され取り逃がし、本国に召還される

前210年
スキピオ、シレヌスとと共にスペインへ。絶対指揮権を与えられる
レヴィヌス シチリアへ マルケルス 南伊でハンニバルを抑える
前執政官ケントゥマルス ハンニバルの奇襲を受け南伊で戦死

前209年
カルタヘーナ攻城戦(スキピオ二万八千 カルタゴ七万五千)
 タラゴーナはシレヌスに任せ、スキピオがエブロ川渡河
 七日でカルタヘーナ直行し一日で攻略
  潟を生かして北方から奇襲
 「個人としてならばこれほど嬉しい贈り物もないが、
  戦争続行中の司令官となると、
  これほど困る贈り物もない。
 スキピオがグラディウスを導入
マルケルスがハンニバルを妨害している間に
 ファビウスがターラントを陥落させる

前208年
マルケルス 丘を調査中ヌミディア騎兵に囲まれ戦死
 マルケルスの印鑑が利用されるが事前に阻止
ベクラの戦い(スキピオ三万五千 カルタゴ二万五千)
 スキピオ対ハシュドゥルバル
 ハシュドゥルバルは有利な丘の上で陣地を築きマゴーネを待つが
  副将レリウスがマゴーネを釘付けに
   それを部下に任せたレリウスがスキピオと合流
  右翼スキピオ、左翼レリウス
  カルタゴ戦死者八千、捕虜一万二千
  捕虜の中にいたマシニッサの甥をヌミディアに返す
  ハシュドゥルバルは逃走

前207年
ハシュドゥルバル 三万の軍とイタリアへ向かう。途中ガリア人を傭兵にし五万に
 マゴーネ、ジスコーネは軍を合体
 クラウディウス・ネロは合流阻止のためカラーブリア地方でハンニバルを足止めする
 執政官リヴィウスはリヨンでハシュドゥルバルを待つ
ハシュドゥルバルがハンニバルに出した手紙がローマ兵に奪われる
 それを読んだクラウディウス・ネロ
  七千の兵と共に強行軍で北上
メタウロの会戦 (ローマ三万七千 カルタゴ五万)
 リヴィニウス、クラウディウス・ネロ対ハシュドゥルバル
 ハシュドゥルバル戦死
 クラウディウス・ネロは再びすぐに南下。わずか14日の間の出来事であった
リヴィニウスの凱旋式

前206年
イリパの会戦 (スキピオ四万七千 カルタゴ七万四千)
 カルタゴの戦死者四万八千
 マゴーネ、ジスコーネ、マシニッサは生き延びる

前205年
スキピオ 執政官に(30歳) もう一人はリキニウス
 ファビウスにアフリカ行きを反対され、シチリアへ
 長靴のつま先ロクリをハンニバルから奪還

前204年
スキピオ、アフリカ上陸
 カルタゴ西方の予定が東方のウティカに
ヌミディア王シファチェがスキピオの申し出を断りカルタゴ側に
 マシニッサは父の死後シファチェに国を侵略され
  許嫁ソフォニズバ(ジスコーネの娘)もシファチェに奪われる
マシニッサ騎兵二百とともにスキピオの元へ
 「今の私には、あなたに提供できるものはこの私しかない
 「わたしには、それで充分だ
マゴーネ、ジェノヴァ上陸。南下を狙うが阻止される

前203年
スキピオ、講和を長引かせ
 コルネリウス陣営地からカルタゴ、ヌミディア陣営地まで
 将官を奴隷に変装させて視察させる
ウティカの戦い
 スキピオ、ウティカを三分の一の戦力で包囲(陽動)
 マシニッサ、レリウスがヌミディア陣地を火矢で夜襲
 続いてスキピオがカルタゴ陣地を攻撃
 ジスコーネ、シファチェは母国に逃げる
 味方の戦死者は0ほぼなし
 カルタゴ、ヌミディアは三万が戦死
バグラデス川の戦い (スキピオ一万五千 カルタゴ二万五千) 前203年
 カルタゴ五千人戦死
 ジスコーネ、シファチェは逃走
 スキピオはシファチェを追ってヌミディア領内へ
  シファチェを捕らえる
マシニッサ ソフォニズバと結婚式を挙げる
 ソフォニズバ ローマの捕虜になる前に自殺
 マシニッサ ヌミディア王に
 ヌミディアはローマの同盟国に
スキピオ カルタゴと講和
 マゴーネ、ジェノヴァから帰還中に死
 ハンニバル、碑文を残してカルタゴに帰還。44歳
  ハンニバルが十六年の間に補給を受けたのは
   わかっているだけで二回のみだった
ファビウス死去 72歳

前202年
サルデーニャからの補給船団が嵐に会い
 カルタゴに捕まる
ハンニバル カルタゴのハドゥルメトゥムに到着
 カルタゴはスキピオの要求を無視
 マゴーネの軍団一万がハンニバルに合流
ザマの会戦
 ハンニバル 歩兵四万六千 騎兵四千
 スキピオ 歩兵三万四千 騎兵六千
 ローマの戦死者千五百
 カルタゴの戦死者二万 捕虜一万五千


前146年
スキピオ・エミリアヌス 炎上するカルタゴの街を目にしながら
 「ポリビウス、今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。
  だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。
  いつかはわがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ。




その他

第二次ポエニ戦争中戦死した執政官
トラジメーノの戦い 前217
 フラミニウス
カンナエの戦い 前216
 セルヴィリウス
 エミリウス
奴隷軍団解散 前213
 グラックス
カプア陥落 前213
 プルクルス
バエティス川の戦い 前211
 プブリウス・コルネリウス・スキピオ
 グネウス・コルネリウス・スキピオ
ハンニバルの奇襲 前210
 ケントゥマルス
丘 前208
 マルケルス

ハンニバルとの戦いで戦死したローマ兵は、カンナエの戦いまでで11万4千人
スキピオとの戦いで戦死したカルタゴ兵は、ザマの会戦までで11万1千人


posted by トメnrb at 10:26| 東京 ☀| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする